マッコちゃんのプロフィール

ブログにご訪問くださってありがとうございます。少しでも、困っている方のお助けになれたら…と、私、マッコちゃんの自己紹介です(^^♪ 超ロングだよ…

東京に生まれ。遅くできた一人っ子だったため、大変心配されて育ちました。私の歩く先に水たまりがあると、先に親が注意してくれる、そんな環境です。

小学校で兵庫県に引っ越してきました。「芦屋の公立中学は荒れていて、窓ガラスが不良に割られるらしい」、という情報を(たぶん親から)インプットされ、中学受験を希望し(そりゃ、こわいやんね?)、中学高校は神戸の女子校で過ごしました。

女子高という特殊な環境。それはそれで楽しかったけど、セーラー服を着て、窓から憧れの男子を眺めるみたいな、漫画みたいな学生生活に憧れました(笑) 部活はオーケストラでバイオリン🎻 勉強はそこそこしていたけど、大学受験を目前に、なんだか途端に嫌になってしまった。目に見えるレール。

ずっと親の期待に添うようにと過ごしてきたつもり。このまま、大学も過ごしなれた街で…と思うとつまらない。東京に出たいなんて言ってみたもののダメだった。せめてもの反抗で京都の同志社大学に進学。なんだかもう、少しでも知らない世界に行きたくて。

ま、で、入った大学ですが、特にやりたいことがあるわけではないし。まぁ、遠いもんで朝が辛い。当然、下宿は不可だし。門限のうるさい親に辟易しながらも、アルバイトやらサークルやら。今思えば中途半端な責任感なんかで首を突っ込んでました。サークルはテニスサークルで、飲み会が必死なやつ。結構ちゃらいサークルでした。母に、「箱入り娘に育てたかったのに」と嘆かれたのはこの頃でしょうか…(苦笑)。

この学生時代に、唯一、自分らしい選択だったなと思うのがゼミ選び。
ダムや原発建設などは本当に「経済的」なのかどうか?そんなことをテーマに、京都の美山の茅葺屋根の家に泊めてもらったり、北海道のマスの孵化場で人工授精をしたり。自然の素晴らしさをフィールドワークを通して学びました。自然な自分で居られた。楽しかった!

大学4年生、さあどうする。そのころ、「『社会保険労務士』の資格を持っていたら、なんかの時にいいのでは?」という母の勧めで、勉強を始めました。これが、絶対無理だろうと思っていたら1回でパス。最年少。素直で真面目だったね。今なら絶対やらない(笑)

で、就職。私には親元を離れて自立した生活への憧れが。でも、到底YESとは言ってもらえない。日テレのアナウンサーに応募したこともありますが(笑)。結局、親受けの良さそうな大手損害保険会社の地域限定職で入社しました。

で、配属されたのは業務が多くて有名な事故受付のサービスセンター。一日中、電話で事故の概要をヒアリングして、けがや損害の程度を確認し、示談交渉をする。この業務で、誇れたことは、契約者さんからの私の対応についてのアンケート点数が良かったこと。一方で、日に日に違和感が増してきました。

事故の対応はマイナスをゼロに近づけることはできても、プラスにはできない。連休明けに職場に行くと、事故受け付けの山・山・山。休日に幹線道路で見る事故。夢にまで出る事故。どのみち、人生の時間を捧げて仕事をするのであれば、幸せを作る仕事がしたい。そんな想いで、転職を決意。在籍1年ちょっと。その後、その想いとぴったんこ!と思ったのが、結婚情報誌の広告営業の仕事。私が頑張れば、結婚式場が儲かり、幸せなカップルが増える。事故を扱っていた私からすると、キラキラした仕事。ま、現実は甘くないと知るのはすぐですがね”(-“”-)”

ここから、ようやく自分の人生が始まります。というのは、すでにお気づきと思いますが…私はそれまで「親」を言い訳にして、自分のしたいことにチャレンジしてこなかったのです。大学も就職も、私が家出を覚悟してまで貫ける道は見えなかった(見ようとしなかった)。だから、親のせいにしてきたんだと思います。両親はこれといって芯のない箱入り娘に、あとで困らないそれなりのレールをひこうと、苦心してくれたんだと今になっては思います。

で、就いた営業職。初めの1年はとくに苦労しました。営業のえの字も知らない。新人に割り振られる結婚式場は、立地が悪く、結婚式の獲得数がどんどん減少して撤退を検討しているところばかり。そこへ、昨年より大きな売り上げ目標の数字が降ってくる。今思えば、企画だ、深耕営業だ…といってもなぁ、みたいなクライアントばかりなんだけど、リクルートの社風で、売れることが素晴らしいこと、自分を成長させてくれること。だから売れない自分はダメな人。この1年ほど人生で情けなかったことはありません。それまでの人生でこんなにバツがついたことはないから。だけど、くだらないプライドが邪魔して、うまくヘタレな自分をさらけ出すこともできず、居場所がなかったのでした。

でも、リクルートさん、ナレッジ&ソウルという年2回東京で開催される成功事例の共有会が素晴らしかったのです。大勢の前で、全国から選ばれた10名ほどの営業マンが発表する場。商品を売ることで、どのように顧客の成功を手助けできたかを共有するのです。

そこの発表がすごく学びになりました。ふむふむ、マーケティングってそういうことなのか。自分のクライアントに当てはめてみて、企画を練ってみる。そして提案してみる。あれ、なんだかすごくワクワクしてくる。そして、クライアントさんの心が動き、これまでそのクライアントさんがチャレンジしたことがない大きさの広告が売れた。やった!あの、お金のなさそうなクライアントからあの子が受注?上司や先輩がざわざわしている。
言葉は悪いのかもしれないけど「出し抜いた感じ」「してやったり」。この感覚がたまらなかった。この時にお世話になった方のおかげなのだけど。

その経験をなんとまぁ、こんどは私がナレッジ&ソウルで発表させていただけた。2年目の春。1000人くらいの前での発表。人生の転機。自分に自信がついて、過ごしやすくなりました。

それから、自分の中でたくさん考えて、営業して。そんな日々。
リクルートで過ごした日々でクライアントや上司・同僚に言われたのは「クライアント愛が強い」こと。私の原動力はここから生まれる。

一方で、うまくいかないことの後悔は、振り返ると苦手意識のあるクライアントさんに「素直に言わなかったこと」が多いです。まだ、根本的には、嫌われたくないし、カッコ悪いところを見せたくない私。

リクルート卒業後、転職した会社の関西の事業所が閉鎖してしまい、それをきっかけに上京。人生初の一人暮らし、やっとこさの自立。

ここからがまた、大変。今度は結婚式場の運営会社に入り、立て直しや新規運営先を獲得するミッション。意気込んで入って、来客・成約率のUP、新規運営先の獲得のため事業計画書の作成~プレゼン(成功!)など、必死にやっていたけど、3.11からの結婚式自粛モードで自転車操業の会社の資金繰りが悪化からの退職。自分でなかったら、もっとできたのかもしれないとか、無力感で悶々。

それから…またエンタメ系の(今は)東証一部上場企業の人事に転職。そこで、夫と出会い、すっかり気に入ってしまった私からのアプローチでお付き合いスタート!からの1年未満で入籍

ここから、また人生の第2のスタート。それが、妊活
すぐ子どもができるだろうと高をくくってたのに…なかなかダメ。おかしいな、こんなはずじゃなかったと産婦人科の門をたたきました。様々な検査を受けた結果「黄体ホルモン値が低い」から、とホルモン剤を処方され、飲みました。すると、嘘みたいに妊娠反応が。浮かれる私。母子手帳を取りに行って。

しかし、とんでもない現実が。流産。それも、3回も。行きつけの産婦人科の検査では不育症は証明されませんでした。

流産を2回続けたときには思わなかった心境。「あ、このままじゃダメだ…」4回目の流産はもう耐えられない。またしても流産。私の身体はどうなっているんだろう。お葬式みたいな雰囲気の医者を前に、なんとか涙をこらえるも、待合でぽろぽろ涙があふれて、目の前の文字がかすみます。

当時、東京で働きながら妊活をする私に、母は「カラダが妊娠の準備ができていないのに、また妊娠にチャレンジさせるなんて、なんてひどい医者なの!」と怒っていました。

それまで、妊娠したいばかりに躍起になっていた私でしたが、母の言葉が耳に入るようになってきました。「そうか、私のカラダが整ってないのかな…?」
当時のカラダの状態は、しょっちゅうお腹を下し、肩こり・腰痛・頭痛、むくみなどあれこれ辛さを抱えていました。

そこで、まず、赤ちゃんを迎えられるカラダを作ろう、と今までやってきていない方法を試そうと考えるようになります。

まず、試したのが鍼灸。子宝鍼灸で有名な鍼灸院をいくつか訪ねました。3度も流産した私は腫物に触るような感じで扱われ、どこに効く鍼なのかと聞いても満足な答えがもらえず、これといった効果も感じられず。極めつけは、「カッピング(吸い玉)」。悪い血をカラダから追い出せるという施術でしたが、吸引の圧力が強すぎたのだと思うのだけど、翌日の仕事中に、吸われた背中に呼吸困難になるほどの強烈な痛みを覚え、フラフラになりました…。それからやめました。

今度はどうしようか?とあれこれ調べるうち、当時ひどかった「肩こり」は「子宮の冷え」であることを知ります。では、これを何とかしなくてはと、「肩こり」のメカニズムを解説していた鍼灸院を訪ねました。ここならちゃんと「説明」してくれそう!

なんとなくちゃんとしてそう!と思った私の勘は大当たり。ホームページには特に書いてなかったのだけど、そこで、【自分でカラダを治す方法】と出会いました。運命的!

それから、教わった通りにせっせと【自分でカラダを治す方法】に取り組みました。何より衝撃的だったのが、【不妊のメカニズム】が知れたこと。え?何?そんなことなの?「私ホルモン値が…不育症が」などというと「不育症?何それ?そんなの関係ない、妊娠できるよ!」よく噛むこととか、水の飲み方とか、少しずつ宿題が増えていきます。

不育症も知らないし、大丈夫かなぁなんて思っていましたが、余計なことは考えず、せっせと取り組んでいると体調が良くなってきました。初めはすごく痛かったポイントがだんだん痛まなくなってくる。ちょうどこのころ、半年前に予約した日本一の不育症の専門医の診察がありました。横浜の杉先生に診ていただくと「第十二因子欠乏症」というタイプの不育症であることが判明。前の検査ではわからなかったけど、やっぱり私は不育症だったんだ…。

そこで、アスピリンを処方され、今度は妊娠が継続するように、飲み方を指示されます。杉先生に私は質問しました。「不育症が自然に治ったという事例はありますか?」杉先生は、不育症はまだ解明しきれていない領域であり、薬を飲まずに無事に出産できた人がいることを教えてくれました。その様子に、妊娠は科学の力を超えた何かと捉えているお医者さんなのかなと感じました。

ここから、私はモーレツに悩みました【自分でカラダを治す方法】だけでいくか、薬を飲むか。不育症を克服した方のブログをいくつも読み漁りましたが、薬なしで克服しているブログには出会えませんでした。私はもう流産の辛さは嫌だ。目の前の薬を飲めば赤ちゃんに出会えるのなら…

一方で、「薬を飲むと、せっかく良くなったカラダの状況が悪くなるよ」と鍼灸院では言われました。当時はまだ、薬のこわさを理解していませんでした。でも、悩んだ末、私は決意しました。

「私が薬を飲まずに不育症を克服したブログを作る!!」これは当時に戻って、自分をハグしてあげたいぐらい、英断でした(笑)。私の不育症、第十二因子の原因は、「血流の悪さ」です。それってまさに、【自分でカラダを治す方法】で解決できる。薬を飲んで血流をよくして、仮に赤ちゃんが授かっても、私のカラダの悪さは変わらないじゃない?血流が悪くて脳梗塞とかで死ぬんじゃない?じゃあ、いま、根本的に治そう、と【自分でカラダを治す方法】を信じることにしました。

そして、鍼灸院に2週間に1回は通って状態を診てもらい、それを励みに(というか、やらなきゃ!というプレッシャーを自分にかけながら)、続けました。

そうして過ごしたある日…まさかの妊娠反応!!【自分でカラダを治す方法】に出会って3か月後のことでした。

ここからも、ドキドキは止まりませんでした。なにせ、3回の流産経験です。心拍が確認できるか、できても、そのあと継続するか…。産婦人科医も久しぶりに診察に訪れた私に「どんな薬を飲んだんですか?」と興味津々、何も飲んでいないと答えるといかにも腑に落ちない顔。着床している場所は問題なし、心拍も確認できた。でも、なかなか不妊治療の先生から、産科の先生にバトンタッチしてくれません。また来週、来週と何度も足を運ばせられながら、10週を過ぎようやく産科のお客様になれました。医者も信じられなかったのでしょう…(苦笑)。

それからも不安になることはありました。
夫も、無事に産まれてくるまで不安だった、と後々明かしていました。でも、診察のたびに元気に心拍を聞かせてくれる赤ちゃんが励ましてくれました。それから、「今回は薬を飲んで妊娠したのではなく、カラダが赤ちゃんを育てる準備ができたからだから大丈夫!!」ということが自信になりました。

そして、2015年5月、無事に第一子となる娘が誕生しました。さらに、2017年12月には息子が誕生しました。第二子の息子の妊活も、「二人目不妊」とは無縁の「3か月」でした。その間、【自分でカラダを治す方法】についてアドバイスを求められることが増え、しっかりお伝えしたいという思いから、杉本錬堂師匠の元で、人に伝えるための修行を受けました。

また、妊娠中、健康な赤ちゃんを無事に迎えるために妊娠中に勉強したことは、これまでの価値観を揺るがすことばかりでした。私は親のひいたレールでそれなりに「真面目な優等生タイプ」で過ごしてきました。ところが、それは、「良い鴨」だったのかもしれない!それなりの大学・企業に入り、ストレスをためてガリガリ働いて、CMで流れる大手企業の商品を、「時間がないから」ろくに噛まずに流し込む。カラダは調子が悪い。3.11は東京で迎え、「被ばく」を恐れる母から、実家に戻るよう連絡を受けましたが、「東京は大丈夫でしょ?」、「私だけ戻るわけにいかない」。

しかし、情報収集するうちに、今までとんでもないものを食べ・飲み、汚染エリアで暮らしていたということを知ります…。

海外では販売禁止レベルになる農薬・化学肥料・食品添加物が安全なものとして出回る。さらに、3.11後は各国が「日本の農産物・海産物」は放射能汚染物として輸入禁止措置をとっているほど、深刻な量のセシウムやストロンチウムが流出を続けていること。海外メディアがいくら報道していても、英語に疎い日本人。そして、情報規制も入ってきた。

国内では「食べて応援」で内部被ばくさせる。チェルノブイリ事故を超えた福島の事故は、なかったことにしようとする政府。まさか東京まで汚染されていることが日本人に公になったら、海外移住、住み替えを検討する、日本円の価値が下がる。それより、国民には、疑問を持たず、せっせと毎日働いて、家のローンを返してもらいたいんだよね?
さらに言えば、これまで日本は安全と信じてきた私たちや親世代だって、それを覆す情報には触れたくない。だから、なかったことに。耳をふさぐ。「みんな、暮らしてるじゃない?食べてるじゃない?だから、大丈夫。あの人が神経質で気にしすぎやねん」ほら、お得意の「みんないっしょ」。

ここから、今までの常識を疑って、考え直しました。国が薦めるから、CMでやっていたから、なんとなく…に惑わされず、自分でしっかり選ぶことにしました。多くの親が子どもに当たり前に打つワクチンは我が家では一本も打っていません。副作用の害のほうが大きいと考えています。3歳と1歳の子どもたちは、小児科にかかったことはありません。薬のこわさを知ったので、風邪をひいても、自然療法です。また、医療保険はばっさり解約しました。食事や指圧、習慣でカラダが治ることが分かったので。話し合うことで夫の理解も得られ、一番の理解者になってくれています。いつの間にか、ふたりして健康をつくる仕事をしています。ふたりとも企業の人事で働いていたのですが…、わからないものです。私も夫も、人生の主役を自分に取り戻して、苦労をしながら、楽しんで切り開く姿を子どもたちに見せたいと思っています。

〈おわりに〉

こうして、私は憧れてやまなかった二人の子供に恵まれました。多くの方が不妊治療を受けている現代。不妊治療を受けていると、ゴールが妊娠になりがち。「先生」や「薬」にお任せという気持ちになりますが、「赤ちゃんを育むのは自分」です。不妊治療で授かったこどもに、アトピーやアレルギーが多いのは、卵子や精子のパワー不足であっても、薬で無理やり妊娠できること。また、母体のデトックスと言われています。日本人は世界の40%の薬を消費しているといわれ、薬の悪影響を過小評価しています。

だれしも、健康な赤ちゃんを授かりたいはず。そのために必要なことはひとえに、「ママ・パパが健康になること」(パパと書くのは男性不妊も不妊の原因の50%だからです)。セルフ・キュア・ラボでは持ち前のクライアント愛で全力でサポートさせていただきます。

ホームページ https://selfcurelab.wixsite.com/mysite/baby

メールマガジン https://form.os7.biz/f/01e9276e/

長々と、お読みくださりありがとうございます。心よりお礼申し上げます。

マッコちゃんより愛をこめて…

2016年始まりました

こんばんは!
そして、
あけましておめでとうございます。
2015年は、不育症だった私が
念願の出産をして
子育てスタートができた
素晴らしい年でした。
導かれるように
鍼灸院と出会い
そして食事や運動をはじめ
健康になっていくことが楽しくて
どんどん自分で作ることに
こだわるようになりました。
そして2016年は
去年に出会った
玄米酵母液や納豆菌水のおかげで
さらに健康に
そして朗らかになっていけそうな予感です。
このブログは
不育症を絶対克服しよう
それも自然療法で!
とメラメラしていた私が
自分を励ますために始めたものでした。
不育症と診断された2014年は
「不育症 克服」で調べてヒットしたブログをみると
出産に至っている方は
薬に頼っている方ばかりでした。
自然療法の人が見当たらないなら
私がその成功事例になる。
なんとか薬なしでやっつけてやる!と。
そして、無事に克服してからは
ブログを読んでくださった方から
「勇気づけられました」と
コメントをいただくことがありました。
ブログをやっていて本当によかったです。
このブログは検索しても
パッと出てくる人気ブログではないので
訪問してコメントをくださる
見ず知らずの方がいらっしゃると
どんな思いでたどり着いたのだろう…
と必死だったころの自分を思い出して
もう、なんだか熱いものが
こみ上げてくるのです。
今年もそんな出会いがあるといいなぁ。
もちろん、もともとのお友達が
読んでくださるのも
とっても嬉しいです。
読んでくださった方に
ハッピーが訪れますように!!
今年も健康情報や
その体験記をお届けしていきます。
お付き合いのほどよろしくお願いします。
あさ

はじめまして!

こんにちは。
私は現在32歳、ここ1年半の間に3回の流産をしました。
2回目の流産の後、不育症というものがあることを知り
不育症の検査を受けました。
でも結果に異常は見当たりませんでした。
その後、3回目の妊娠も流産に終り、このままではいけないと思いました。
3回の流産を経験して思ったことは
あぁ、私の身体は赤ちゃんを授かる準備ができていないんだ
ということです。
流産後、身体の調子が悪く、沈んだ気持ちの中で
私は東洋医学の考え方に何か共感するものを覚えました。
身体に何か不調が起こったときに薬を出す西洋医学
一方、東洋医学は不調が起こってしまった原因を取り除こうとするもの。
不育症の検査で異常が出ないのに、流産が繰り返されるため、
これまでのクリニックでは
たまたま、流産が重なったということですね
という判断でした。
でも、何かあるに違いない。
だって、3度の流産はおそらく1%にも満たないということだから。
(私の年齢の場合)
というわけで、私はこの半年、少しずつ身体づくりを始めています。
これがうまくいくかはまだ分かりません。
でも、いつか、できれば近いうちに子供を授かり、
同じような症状の方にブログ参考になったよ!と言っていただけることが夢です。
憎き不育症をともにふっ飛ばしましょう。